top of page

ソレイユ紹介文

   混声合唱団コール・ソレイユは、2006年に創団30周年を迎えようとしています。一時は団員数が少なくなって、バスのパートが一人になってしまったこともある危機を、よくも乗りきってここまで来たものだと思います。
このサークル紹介文が外語会会報に掲載される頃には、第30回記念定期演奏会も無事終了しているはずです。 

 

 

30年の歩み


   06年に30周年を迎える団が、なぜ04年末に第30回定演を終えているのかという疑問を抱かれた方もいるでしょう。それは、1975年11月24日に西ヶ原の講堂で「モーツァルトのレクイエムを歌う会」が
外語大オーケストラと共演した外語祭のコンサートを、第1回定演に数えているからです。(実は、相
当無理なお願いをして共演していただいたのが真相です。オーケストラの皆さん、当時は本当にお世話
になりました。)この「モツレクを歌う会」を発展的に解消させて生まれたのが、コール・ソレイユなのです。

  1978年、現在も常任指揮者である鈴木成夫氏が指導して下さるようになり、何とか合唱団としての体勢が整ってきました。部室は西ヶ原の木造校舎サークル棟の2階、練習は1階の練習室で週2回、水曜日と土曜日の午後に行っていました。

  当時のソレイユの重要課題は、第一に人数を確保すること、第二に技術的な向上でした。前者は勧誘もさることながら入団者を辞めさせないことが重要で、そのためには合唱以外でのコミュニケーションが肝心とばかり、 練習後は毎回巣鴨で飲み、語り、真夜中の染井霊園を合唱しながら帰るということもしばしばでした(もちろん男声団員の話ですが)。その結果、むしろ純粋に音楽が好きで入団したものの、やや体育会系の雰囲気に尻込みしたという人も無くはなかったようで、反省材料ではあります。

  第二の技術的向上については、鈴木先生の熱心なご指導のお陰で、音楽的な基礎はこの頃に確立されたと思います。練習は相当に厳しいものでしたが、先生の音楽へのパッションと関西風のお笑いが混交した指導ぶりは大変印象的で、それは今でも健在と後輩から聞いています。

  また、鈴木先生には、曲選びに関しても感謝しなければなりません。結成当時はモーツァルトやヴィヴァルディ、フォーレといったいわば合唱曲の定番をとり上げていたのですが、先生には、あまり知られてはいないけれども、とても素敵で技術的にもソレイユの成長につながる曲をたくさん紹介して頂きました。

 

委嘱作品で発展・成長

 

 

 

  その中の大ヒットが、木下牧子さんです。木下さんは、合唱をする人であれば今日知らぬ者はいない、日本を代表する作曲家の一人で、出世作「方舟」は合唱コンクールの自由曲に必ずとりあげられるといっていいほどの定番となっていますが、ソレイユがそれを委嘱・初演する(カワイの楽譜を参照)きっかけをつくって下さったのが鈴木先生でした。

     「芸大の院生で、木下さんというとっても才能豊かな作曲家がいるが、彼女に委嘱作品を」という先生の提案に、私達は半信半疑、「本当に実現できるの?おもしろそうだけど謝礼が高いのでは?」など戸惑うことしきりでしたが、鈴木先生を信頼してお願いしたところ、本当に美しい、そしてちょっと難しい曲が次々と私達に届けられたのでした。
今思えば、何と贅沢で有り難い話だったことか。手許にある当時のご本人手書きの楽譜を見ると、難しかったけれども歌えるようになればなるほどそのハーモニーに魅了され、木下ワールドの虜になっていったあの頃が懐かしく思い出されます。

  以来、木下さんには次々と委嘱作品をお願いし、そのお陰でソレイユも「業界」ではすっかり有名になりましたが、それらの作品を通じて発展・成長を遂げることができたという意味で、鈴木先生(先生のパートナーでピアノ伴奏をお願いしている山内先生ともども)と木下両先生は、ソレイユの歴史における最大の功労者なのです。

  82年には「第1回東西外国語大学交歓演奏会」を大阪で行いました。これは、東京外大の姉妹校といえる大阪外大の女声コーラス部およびグリークラブとの合同演奏会です。この交流は、東京と大阪を交互に会場とし、2年に1度のペースで95年の「第7回」まで続きました。

  84年の第10回定期演奏会では、卒団生と現役の合同ステージが初めてもたれました。卒団生にもアンケートをとった結果、第6回定演で「方舟」を初演して間もないこともあり圧倒的な賛同を得て、「方舟」に決まりました。世代の差でしたが、ソレイユにとって原点とも言える曲「方舟」を、また、94年の第20回記念定期演奏会でも、合同ステージがもたれました。初期の頃の卒団生と現役では親子ほどの心をひとつにして歌いました。この翌年も合同ステージをもち、同じ木下さんに83年に委嘱した「ティオの夜の旅」を歌い、これらはCD化され、発売されました(「シリーズ 日本の合唱曲7 木下牧子混声合唱作品集 ティオの夜の旅」フォンテック)。

  その後、98年には、鈴木先生が同じく指導される東京大学コーロ・ソーノ合唱団、東京家政大学フラウエンコール、日本大学合唱団との合同合唱団「遊声」を結成し、毎年夏にジョイントコンサートを行うほか、海外から合唱指導者を招聘し、一般のお客様向けに講習会を主催するなど多彩な活動を行っています。
その同じ年に行われた全日本合唱コンクール全国大会では、大学の部A部門で銀賞を受賞しました。また、翌99年の外語大独立百周年記念行事では、講堂で行われたタケカワユキヒデさんのコンサートに参加し、「銀河鉄道999」などを一緒に歌い、百周年を記念に製作された外語大学歌ならびに愛唱歌のCD録音を行いました。
(「遊声」では合唱活動以外でも交流を深め、春の新入生勧誘は他大学の力を借りて行い、現在の団員数の回復につながったという「裏技」も、今だから言ってしまいましょう。)

  昨年、鈴木先生の常任指揮者就任25周年を祝う会をきっかけに、「卒団生の会」が再建されました。卒団生の親睦と現役への支援を二本柱として活動していく予定です。

 執筆者 須藤訓行(R昭51)、森本宗則(H昭57)、 濱崎真弓(Th平7)、小林さおり(B平13)

(外語会会報103号より転載、一部改変)

 

bottom of page